Saturday, June 11, 2011

AKB商法ってすごい

ブログなんかを見ているとAKB商法について否定的な意見を見つけるけど、実際AKB商法ってすごいと思う。まず、ここ数年はCDが売れなくなったと言われて久しい。そんななかミリオンセールスを達成して記録を塗り替えるほどの売り上げを上げたのだから、すごいと言うしかない。

AKB商法が嫌いだって言う人は、いつも批判ばかりして他人が儲けているのが羨ましくて、それでいて陰口を叩くしか能がない人なんじゃないかな。

AKB商法について倫理的な面からみると、善し悪しの判断が分かれるのは仕方ないと思う。実際に人気を投機的に煽って、購入に向かわせている手口なんかは、詐欺すれすれと言ってもいいかもしれない。そして、総選挙のためにお金を貢いでいる人は、詐欺に騙されて入れ込んでいるようにしか見えないのも事実である。しかしながら、やっていることがどんなに詐欺に近くても、それが合法的である以上、非難される理由はないと思う。もし非難されるべきものがあるとすれば、それは法律の方だと思う。

与えられた制度の中で他の人よりもお金を儲ける方法を思いついて、それを実行している秋本と言う人は頭が良いし褒められても良いと思う。そして、それを見てすごいと思った人は、第二のAKBを作ったり、むしろそれに対抗して歌唱力で売り上げを上げるグループを作ったり、もっと活発に競争していけば良いのではないかな。批判だけじゃなくて行動で。

また、AKB商法が実力のないアイドルグループのお祭りだと思うひとは、自分が好きだと思う楽曲をもっと探したり、それが人気になるようなコンサートに通ったりすれば良いと思う。そもそも他人が何に興味を持とうと勝手だし、むしろ自分が何が好きなのかの方がもっと大切なんじゃないかな。本当に好きな音楽に浸っているときは、それで幸せになれるよね。

まあ、個人的には、実際のところAKBの楽曲をYoutubeで聴いてみてちょっとびっくりしたりしたんだけどね。ポップス(大衆音楽)であるはずなのに大衆向けじゃなくてあきらかにターゲットを絞った楽曲作りをしているので、たぶん家族を持っている人とかあまり好きになれないんじゃないかな。

それに、カチューシャとかシュシュとか、女性雑誌にしかでてこないような単語が歌詞に使われていて、しかもその作詞は50歳近いオッサンがやっていると考えると気持ち悪くてしょうがない。秋本って人がアンアンとか読みながら作詞しているところを想像してしまった。

まあ、そういうのが好きな人もいるし、そのマーケティングをしっかりやって、真面目にアンアンを読んで勉強して、結果を出しているところは、素直に評価すべきだと思う。好きか好きじゃないかは別にして。。。

Friday, April 1, 2011

アンチ原子力について思うこと

世間はアンチ原子力という風潮になっているけど、本当にそうなのか疑問に思うので、今思っていることをまとめてみる。

まず、尊敬していた技術系のブログが反原子力の記事を恥ずかしげもなく、感情的に掲げていることにがっかりする。技術者なら科学者なら、技術の本質や失敗の本質を論理的に判断してかいて欲しいと思う。

確かに、地震、津波、原子力発電所の事故は、本当に衝撃的な出来事だったと思う。終戦から50年以上経って平和ボケしていた頭に、あんな衝撃的な映像を連日のように流しこまれたら影響を受けない方がおかしいと思う。

しかし、原子力という技術は、本当にそんなに絶対領域の技術なんだろうか。他の技術に比べてそんなに違いがあるのだろうか。

人間がまだ「火」の存在を知らなかった頃、「火」というものは畏れ多いものであっただろうし、神のような存在であったに違いない。しかし、多くの実験を重ねていくうちに段々と火を制御することができるようになって、いまでは火のない生活など考えられなくなった。

火を自在に操れるようになるまでには、多くの失敗が合ったはずである。例えば、それによって命をはぐくんでくれていた森を全焼させてしまったこともあるだろう。それでも、人間は、火の特性を少しずつ学びながら制御できるようになった。

技術という物は、発明されたときは常に未知のものであるし、それから次第に使いこなせるようになっていく物である。はじめから特性が分かっている技術なんて存在しない。近代になって以降、技術は戦争のための技術として発展してきた。火薬、戦闘機、車、電気、コンピューターすべては、軍事技術として生まれて、多くの破壊や事故を起こしつつも、いまでは生活に不可欠なものとなっている。

それでは、人間がそれらの技術を発明すべきでなかったのか。この質問に対しては、原発事故が起きてしまった現在だって、ほとんどの人がNoと答えるだろう。アーミッシュかヤマギシような原始的な生活に賛成するひとは少数であろうし、そんな村をつくっても脱走するひとが多数だと思う。美味しいものを安く入手している人が横にいたら、我慢できる人なんていない。

原子力は特別なのかと考えると、技術としてみれば特に他の科学技術に比べて特別でないと思う。むしろずいぶんと枯れた技術で、もっと危ない未知の技術がたくさんある。原子力には分かっていないことが多いという反論をする人もいるかもしれないけど、他の技術だって分かっていないことだらけだ。いま放射能とかいって話題になっている陽子とか中性子を加速してぶつける実験をやっている研究だってある。そもそも、最先端の研究は、分からないことがあるからやっているのだ。それをやめたら発展は止まってしまう。そして、その技術が、繁栄を生むか破滅に導くかなんて誰も分からない。たまたま今回は失敗してしまっただけなのだ。

ただし、原子力が特別だったのは、技術そのものよりも運用の方にあると思う。とにかく、第二次世界大戦の原子爆弾は、強烈な印象を与えた。そのせいで、民間の企業が技術開発することが実質的に不可能になった。つまりは、政府の規制の下におかれながら開発されることになった。この技術の運用方法の間違いが原子力という技術を不幸な道へ導いたのだと思う。

原子力を民間で開発することが現実的でないのは事実である。しかしだからといって、政府や独占企業の不透明な開発を許してしまったのは大きな過ちだと思う。政府の計画的な研究開発のなかでは、毎年一定の成果を出さなければならないだろうし、成果を利用しなくてはならないという納税者の無言の圧力がある。その圧力のなかで、設計の不備や技術的な欠陥が残るまま、運用を始めてしまったのが原子力発電所だと思う。

そもそも、同じ大きさの震度や津波を受けても問題がなかった原子力発電所だって存在している。それに、今回の地震と津波を考慮して、より高い安全基準で設計し直すことだってできる。なのに、表向きの成果ばかり気にして、開発と運用を始めてしまった政府と電力会社、そしてそれを止められなかった有権者に責任があると思う。

まず、この悲惨な現実は、我々が選んだ未来だったということを認めなければならないと思う。政府や電力会社を糾弾するのは簡単だけれども、その政府を政治家を支持してきたとは有権者なのである。

いま、アンチ原子力という流れによって、技術の進歩を止めないで欲しいと思っている。原子力の研究だってすべきだし、コンピューターの研究だって同様にすべきだと思う。そうやって、人間は少しずつ科学を発展させてきたのだから。

そもそも地球や太陽にだって寿命があって、時間が経てばなくなってしまう。そのとき、人間には、なんとかそれを回避する技術を持っていて欲しいと願っている。もちろん、そんな未来まで人間が行き続けられるかどうか分からないけれども。

それから、原子力に関して追加して言うならば、安全に設計をして安全に運用して欲しいと思う。実験室の中ならうまくいくのだから、しっかり技術を蓄積すれば、発電所の中でもうまくいくはずである。ウランの核分裂反応という科学的な現象だけをみれば実験室で完全に制御できる技術であって、神の領域ではない。それで費用対効果が悪くなるなら、原子力発電という事業を辞めればよいだけの話である。

それからもう一つ、いま我々が再発明しなければならない技術は、民主主義とか政府なのかもしれないとも思う。まあ、まだまだ先は長そうだけど。。。

Sunday, March 27, 2011

反原発を唱える人が取るべき行動

福島の原子力発電所の事故の影響で反原発の意見が増えてきました。そんななか反原発を唱える人が取るべき行動を考えてみました。

まず、反原発を主張するのならば、原子力に変わる発電方法を提案しなくてはなりません。今や電力は社会インフラの中心となっているので、電力なしの生活に戻ることは不可能です。

しかし、政府の方針や電力業界の規制を変えることもそんなに簡単ではありません。東京電力は、株式会社なので株価が下がり続けたら倒産すると思いますが、おそらく政府が手助けをすることになるでしょう。

日本航空でさえあれほど手厚く救済されたのですから、社長以下管理職を全員クビにするような劇的な改革は期待できません。高い給料をもらっている経営陣は、大きな責任を取らされることもなく、高い退職金をもらうでしょう。

もちろん原子力発電所のさらなる建設ができないとしても、東京圏の電力を独占的に供給しているので、倒産した後に政府主導で再建された会社は、また独占の甘い汁をする組織になるに違いないです。

残念ながら日本の大企業という物は、自浄能力がないばかりか、倒産しても保護されるという社会主義的な環境の中に存在していて、特にそれが電力業界において顕著です。その背景にあるのは、電力業界を保護している行政であり、さらにその利益を得ている国会議員です。

阪神大震災の時の体たらくを思い出すと、自民党であっても民主党であっても、有能な政治家が十分いないことは明らかです。また、有能な政治家が十分に指揮権を発揮できる地位にいないことも明らかです。選挙によって国を良くすることはそんなに簡単ではありません。

では、このエネルギー業界を変えるにはどうしたらようのでしょうか。

答えは、消費者が東京電力を使わなければよいのです。原子力が嫌いだというのなら、原子力で汚れた電力を使うのをやめたら良いのです。また、原子力で得られた電力で作られたサービスを使うのをやめたら良いのです。

消費者の立場からみると、家庭にガスなどのコジェネレーションを設置したり、太陽光発電を設置すれば、東京電力の電力を買うのをやめることができます。一般家庭なら200万円くらいから製品が出ているみたいです。車を1台買うのをあきらめたらよい価格です。

また、企業の立場で考えると、例えばデータセンターをもっているのなら、自家発電をして電力をつくって運用すれば良いと思います。現在のような計画停電が続く状況なら、自家発電設備を持つことが十分なメリットになると思います。

また、自家発電設備を持った後に、消費者にそのことをメリットとして伝えればよいと思います。原子力に反対する消費者ならば、例え1円高い商品であっても、クリーンに製造されていればそれを選択するはずです。

個人的に原子力発電所は安全な技術であるという立場を変えるつもりはないですが、電力業界も市場原理と競争にによって選択されていくべきだと思いました。まあ、それができなくないのなら、個人であろうと企業であろうと国であろうと、市場主義のグローバルマーケットで取り残されてしまうでしょう。

Saturday, March 19, 2011

原子力発電の問題点

原子力発電と電力の問題点は、あきらかに行政の歪んだ規制とその結果もたらされている電力会社の独占にあると思います。

原子力発電というものは、個人的には、正しく設計と運用がされていれば安全な技術だと思っています。もちろん、高速増殖炉とか、特にナトリウムを減速材に使う原子炉は技術的に安全なレベルに達するまでに大きな技術的問題がいくつもあるでしょうけど、単純な軽水炉に関して言えば十分に確立された技術だと思います。

しかしながら、耐用年数が過ぎた原子炉を使い続けたり、一カ所に多くの原子炉を設置したり、地震が来る可能性の高い断層の上に建設することは、あきらかに危険なやり方だと思います。そして、そんな状態を許してしまっている行政と、それを一緒になって遂行している電力会社には当然のように責任があると思います。

今回事故を起こした原子力発電所は、耐用年数が迫っている上に、旧式であるため効率が悪いです。にもかかわらず使い続けなければいけないのは、理由もなく原子力に反対する市民と、それに影響を受けすぎた行政による圧力が原因となっていると思います。たら・れば論になりますが、古い原子炉を捨てて新しい安全で効率的な原子炉に建て替えていたら、今回の事故が防げたかもしれません。

それから、このブログのはじめの頃にスマートグリッドの話を書きましたけど、そもそも日本の電力は、他国に比べて安定供給されていると言われています。確かに、国策としての電力の安定供給は、日本の戦後の行政において必要だったのかもしれません。しかし、今となっては、それが参入障壁になって新しい会社が電力を供給することができなくなっています。

その結果、消費者は電力会社を選択することができずに、東京電力をはじめとする電力会社が独占による暴利をむさぼる結果になっています。もし、消費者が電力会社を選ぶことができれば、原子力発電に反対をするのなら、原子力発電をしない会社を選べば良いだけです。たとえ、原子力発電を使わない電力が高かったとしても、消費者に選択されて、それによって利益が生み出せるのなら十分にやっていけるでしょう。

また、電力に関する規制があまりにも厳しいために、たとえば太陽電池による発電と売電が難しいという話も聞いたりします。もし、消費者が投資の一環で太陽光発電をはじめたら、一カ所の事故による電力不足という事態は避けられたかもしれません。もちろん、太陽光で発電した電力は、クリーンなエネルギーなので、付加価値があって高く売れるかもしれません。一見、高いと思われる商品であっても、正しいやり方で生み出した商品ならば付加価値をつける方法はいくらでもあります。

一般的に、独占的な企業は、官僚的な体質になって腐敗していくものです。その名の通り、行政そのものは官僚によって運営されている訳なので、官僚的になるのは当たり前です。そしてそれは、減点方式で人を評価するために、従来のやり方が踏襲され続けて、斬新でよりよいやり方は、握りつぶされるからです。徐々に組織は、変化に対応できない、前例に忠実な人間で満たされていきます。事故の対応や記者会見をみるたびに、電力業界の官僚的で変化に対応できないトップというものをみることができます。

日本という国の国民性は、こんな事故があっても当事者を責めるばかりで、改善策を考えない場合が多いです。電力に関わる行政や電力会社は、根本的な問題がどこにあったのか、どうすれば二度とこんな事故を防げるのかということを本気で考えて欲しいと思っています。社長が引責辞任するとか、誰かが不必要に責任を感じて自殺するとか、そんなことは誰も望んでいません。

安全と安心

北関東大震災、今回ほど安全と安心の違いについて考えさせられることはなかったですね。

特に震災の後の原子力発電所に対する対応は、まさにその違いが際立っていると思います。

原子力発電所は、30km以上離れていたら安全なのかもしれないけど、安心じゃないんですよね。被爆国としての日本の教育もあるだろうし、原子力発電所の度重なる事故もあるだろうし、なにより放射能が目に見えないところが不安感を大きくするのでしょうね。

安全に食料が供給されるとわかっていても、買い占めしてしまうのもやっぱり、不安な気持ちが収まらないからなんでしょうね。どんなに論理的に説明されたとしても、不安な気持ちというのは、感情なので押さえようがないものですよね。

東京にいたって安全だとは思いますけど、安心した気持ちになれないのはものすごく理解できます。そもそも、海外で暮らしている日本人だって、安全な場所に住んでいるにもかかわらず、祖国がなくなってしまうのかというような不安な気持ちになるひともいるみたいです。

お金があるひとは、安心を得るために、影響にならない程度に買い物をしたり、海外に一時的に逃げても良いのではないかと思ったりします。もちろん、混乱を助長するような行動は避けるべきでしょうけど、復興のためにお金が必要なので日本の内需が増えることは結果的に、復興の助けるになると思います。需要が増えれば税金が増えるのでそれを復興に使えば良いでしょうし、誰かの懐に落ちたお金は、募金という形で復興に使われるかもしれません。

ただし、どんなに遠くに避難しても、どんなに物を買い占めたしても不安なものは不安なんです。安全と安心は違う物ですから。では、安心を得るためには何が必要なんでしょうか。

それは、おそらくコミュニティとかコミュニケーションなんじゃないかと思います。まわりに家族や親戚や友達がたくさんいれば、きっと何かがおきたときはみんなで助け合うでしょう。それに、物理的な支援だけでなく不安な気持ちを伝えるだけでも、それに共感してあげるだけでも安心な気持ちになれるでしょう。

今回の震災で、買い占めに走っているひとは、孤独なお年寄りや主婦が多いと聞きました。そもそも、自分自身、一時的に海外に暮らしているためにあまり知り合いがいなくて、はじめの数日は不安な気持ちになってニュースにかじりついていました。

これを機会に日本に失われつつある、昔ながらの共同体やコミュニティが、震災と同時に復興していくことを願うばかりです。

Monday, February 28, 2011

NTTのクラウド、VPSサービスは解約にFAXが必要

NTTのクラウド、VPSサービスであるWebARENAを利用しているのですが、解約にFAXが必要なことがわかって驚いてしまった。

入会からディスクやメモリの容量を変更するまでWebからクレジットカードをつかってでできるというのに、解約だけはWebからできないらしい。どうしてそこに解約ボタンをつけておかなかったのかと問いただしたいな。

いまどきFAXとはね。ちなみにpdfをメールに添付しても良いかと訪ねたところ、低調に断られた。NTTらしいというか日本らしい設計ですね。

Sunday, February 27, 2011

Netflixを試してみました。

話題になっているビデオオンデマンドサービスNetflixを試してみました。

サービスは、オンラインのTsutaya + ビデオオンデマンドの組み合わせで、パソコンや対応機器でも再生できるし、DVDの宅配レンタルも可能なサービスです。

日本だと、OyaOとTsutayaがくっついたようなサービスだと思いますが、特徴としてはiPhoneやiPadのようなモバイル機器にも対応しているところでしょうか。

今回はブラウザで視聴してみたのですが、おそらくsilverlight を使っているみたいで、なかなかのユーザインターフェースでした。ブラウザ版のQuick Timeみたいでした。

日本のオンデマンドサービスと比較するならば、やはりコンテンツの品ぞろえが違うと感じました。いまの日本のオンデマンドサービスは、Tsutayaこのサービスがあればたぶんレンタル屋に足を運ぶことはなくなると思います。

値段は月々約7ドル(DVD宅配サービスをつけると9ドル)とかなり低めの設定になっています。これは、たくさんみればかなり得なような気がしますけど、週末だけとかという会員が多数になると思うので、全体をみると儲けがでるサービスなのかなと思いました。

iTunesのレンタルと比べても、お得な感じがするので加入者が増えるのも理解ができますが、1年後加入し続けているユーザがどれくらいいるのかが気になるところです。ヘビーに視聴するユーザばかりが残ると確実に赤字だと思います。

逆に、Netflixアラートサービスとか作ったらおもしろいかもしれません。3ヶ月連続で視聴回数が少なかったら大会を促すサービスです。なんか訴えられそうですけど。。。

ちなみに、結構日本のアニメもラインナップの入っていて、攻殻機動隊とかカウボーイビバップ?とか鉄腕アトムとかそれなりに充実していました。

それにしてもこういうサービスは、国ごとにコンテンツの管理や著作権の問題があってグローバルに展開できないところがつらいですね。その分、日本の企業にもコピーキャット戦略の余地があるということですかね。

あと、もし仮にNetflixが日本で視聴できるようになると、泣きたくなるISPがでてくるでしょうね。Youtubeにはずいぶん泣かされたのでしょうが、今回は著作権さまさまな国内ISPというところでしょうか。

Friday, February 25, 2011

抽象的な問題を抽象的なまま理解できるひと

最近、論文を読むことが多いのだけれど、明らかにプロトコルが実装できないような論文が存在する。もちろん、底辺の論文でそんな欠点があれば不採録なんだろうけど、おそらくその分野の最高峰である論文を読んでいてもそんなことを感じる。

最高峰の論文であれば当然、複数の査読者の査読を経ているはずなので、少なくともその査読者が納得した上で採録されたのだろう。しかし、一体どうやって査読者は、プロトコル実装が不可能な論文を評価したのか気になってくる。

おそらく、査読者は、抽象的な概念を抽象的なまま理解して、その抽象的な概念の斬新さを測ることができるということなのだろう。どうしても自分は、抽象的な概念を抽象的なまま理解するのが苦手で、少なくともひとつの実例に落として動作を再現した後に、その実例を抽象的な概念に再昇華させるという過程で概念を理解する。つまり、抽象的な概念が少なくともひとつの具体例に落ちなければ理解という到達点には至らないわけである。

そのあたりが、抽象的な概念を抽象的なまま理解できる人と、そうでない人の違いなんだろうけど、なかなかその次元に行くのは難しいな。というか。。。そんな欠点があったら、自分が査読者なら不採録判定してしまいそうだ。

Thursday, February 17, 2011

高齢化とソーシャルゲーム

最近、高齢化が進んでいて、特に若い世代に悲壮感が漂っているような気がします。

若い世代が悲壮感を感じる理由は、年功序列の勝ち組である老人たちが悠々自適な未来を手に入れているにも関わらず、より長い人生が残っている自分たちの未来が保障されていると信じられないからです。

生まれた時期がたった30年〜40年違ったばかりに、おいしい思いをできないと感じているところでしょう。

しかし、一番の理由というのは、相対的に劣等感を感じていることなのではないでしょうか。
人間というものは、相対的に幸せを感じるものなので、みんなが貧乏なら気にならないことでも、まわりに少しでも幸せな人がいると不幸せに気づいてしまいます。

高齢者は、年功序列によって権力を持っているので、わざわざ自分が不利になるルールを作ることはしないでしょう。たとえば、5年後から毎年500万円づつもらえるルールを、わざわざ改定する会社の役員はいないでしょう。

一方、若い世代は、どんなにあがいても簡単には勝てない、というよりもルールのせいで負けが決まった世界に放り出されて、途方に暮れてしまうことになります。そんな状況になると自尊心を保つために何か代わりのものを探し始めます。

そして、若い世代は、お金をあまり使わないで楽に相対的な優越感が得られるゲームの世界や仮想世界に没頭していくのです。

最近、ソーシャルゲームが爆発的に流行してきています。実際に、モバゲーやGreeをやってみると気づくことは、「作業ゲー」と呼ばれる単純作業をするだけのゲームが大半を占めています。たとえば、1日に60回づつ特定の場所をクリックするゲームが上位に入っていたりします。文章を読んでいると、そんなゲームがとてもおもしろいように思えないのですが、本当にそんなゲームしかないのです。

ソーシャルゲームの魅力といえば、ソーシャルな要素に集約されます。つまり、友達よりも高いステータスやアイテムを持っていることで優越感が得られるのです。だから、単純なクリックの繰り返しであっても、友達よりもたくさんクリックすれば、価値の高いアイテムが手に入るので、中毒的に繰り返してしまいます。

つまり、相対的な優位性を簡単に実感できるところにポイントがあります。しかも、実社会の相対的な優位性に比べて、ステータスが数値化されているので優位性をすぐに実感できます。

そうやって考えてみると、相対的な優位性の判断基準なんてものは、あまり意味がないものなのかもしれません。

お金をたくさん持っている優位性でも、異性にもてることによる優位性でも、ゲーム中のポイントの優位性でも、何の優位性であっても、自尊心を保つためには十分なのかもしれません。

今後、高齢化が進んでいくと、社会の不公平感がよりいっそう募り、若い世代は仮想的な世界に逃げ込んでいくのかなと、そんな未来を想像してしまいました。

Saturday, February 12, 2011

Twitterのメールアドレスからアカウントが検索できる機能の危険性について

日本では、Twitterユーザの多くが実名を使わずに匿名で利用していると思う。これが、日本でTwitterが爆発的に流行った理由だと思うが、この「匿名」には落とし穴があることを気を付けた方が良い。

今日、なにげにTwitterをつかっていたら、なんとメールアドレスからアカウント名が検索できることに気づいた。ということは、メールアドレスを知っていると、その人のアカウントを得的できるということだ。まあ、設定で検索をできないようにできるみたいだけど、多くのひとはデフォルトのまま使っているだろうから注意が必要かも。

http://netafull.net/twitter/033722.html

実際に、FacebookとLinkedInから名前の一部を取り出して、メールアドレスを合成してそれがアカウントの持ち主と紐付けられるかといった研究をしている人たちがいる。それによると数百万件のアドレスが抽出できたらしい。もちろん全数探索したわけではなくて、一部を探索しただけでその数が抽出できるということだ。

そうなるとユーザ側の自衛策としては、メールアドレスをうまく切り替えるしかないのかな。しかし、それは極めてめんどくさい。

あーだれか、メールアドレスを自在に切り替えて匿名性を保つシステムを作ってくれないものかな。。。

ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのか

海外では流行っていたFacebookが日本で流行りだして、それにともなって日本の非実名アカウントも削除され始めた。

http://togetter.com/li/98367

いま、ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのでしょうか。ちょうどアメリカの大学生と話す機会があったとき、その学生がはじめに聞いた質問は、「日本のソーシャルネットは、なぜ匿名なのですか」という内容だった。文化が違えば価値観も違うものだと思った。

日本のソーシャルネットワークといえば、mixiで実名を出しいたばかりに、ひどい目にあったというニュースをあちこちで見るので、実名にするは、慎重さが足りないか、よっぽどの有名人で意図的にやっているのか、の二択なのかと思うほどだ。なので、実名が常識のFacebookは、日本人にとってむしろ意外に思ったりする。

mixiは、初期の頃こそ招待制で実名の情報を集めていたが、ユーザ数が頭打ちしたために方針を変えざるえなくなり、結果的に匿名のソーシャルネットワークになってしまった。ユーザ数が頭打ちしたときに、ビジネスモデルとして海外展開をできなかったところは失敗だと思う。それが日本初のWebサービスの弱点だと思うけど、その話は又今度にする。


一方のFacebookは大学の(在籍)卒業アルバムのような意味を果たしているので、実名の意義が大きい。普通なら連絡が途絶えてしまうような卒業後の関係も、Facebookを使えばあまりコストを払わなくてもつながっていられる。そして、実名のソーシャルネットワークは、他のものに比べて使い捨てができないのも特徴だと思う。その結果、高いロイヤリティのあるユーザが芋づる式に増えるという、磐石のビジネスモデルを実現している。


Facebookがいま非実名アカウントを削除しているのには理解ができる。つまりに、mixiのように匿名を許すと簡単に使い捨てられるアカウントが増加してしまうからだ。しかも、Facebookは、ユーザ数の頭打ちを海外展開ということでうまくしのぐことができた。アメリカの人口が約2億人でアクティブユーザ数が5億人なので、海外ユーザの方が多いことに気づく。

おそらくFacebookとmixiの戦いは、Facebookの勝利に終わるだろう。mixiとFacebookの両方にアカウントを持つユーザは、実名にせざる得ないFacebookのアカウントを捨てられないので、Facebookを残すことになるだろう。Facebookはもともと多言語へのローカライズが下手なところがあるが、それも徐々に克服するのではないだろうか。プライバシを憂慮するユーザが敬遠する可能性があるが、これまでのWebサービスの歴史を見る限り、ユーザはプライバシと便利さを天秤にかけたとき、便利さを取る傾向にある。

特に、海外での生活を経験している知識層や富裕層をうまく取り込むことができれば、プレミア価値のあるソーシャルネットワークができるであろう。世界の富は、少数が握っているので、少数の富裕層のマーケットを手にいれることができれば、その資金でサービスを発展させて競争相手に勝つことができるだろう。

まとめると、ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのかという問の答えは、yesだと思う。そして、それはFacebookという形で実現すると思う。

Monday, February 7, 2011

日本が再生するには。。。一度崩壊させるしかないのかな。

なんか、ニュースで暗い話題ばかりで、どうしたら日本を再生出来るかという話があちこちで書かれているけれど、どれも理想を語っているものの、再生のシナリオが見えないなと思ったりする。確かに、雇用の流動化をすればうまくいきそうだけど、それだけの指揮をできる政治家っているんだろうか。

よくよく歴史を思い出してみると、日本は自らの力で再生できたことがこの100年間に一度もなかったのではないかと思う。いまままでの再生は常に外圧による崩壊が再生の引き金となっていたように思う。

例えば、明治維新は、実質的にいうと江戸幕府の解体という見方ができる。江戸時代は鎖国を続けていたものの、出島での海外との公益をやっていたわけで、開国していなかったわけではない。ただし、出島というシステムによって、一部の特権階級だけが、海外からの情報や富を独占していただけに過ぎない。その古い封建的な政府や仕組みを崩したのが明治維新だと思う。

次はやはり第二次世界大戦で、これも天皇や財閥の封建的な仕組みを敗戦によって破壊できたからこそ再生できたと思う。戦争に負けなかったとしたら、特権的な階級にあった財閥が力を持ち続けていただろうし、財閥は世襲を続けていただろう。

そもそも、世襲が効率を悪くする理由は、優秀な人物の子供が優秀であるとは限らないからだ。また、仕事の上で優秀な人物が、優秀な父親として子供を育てられるとは限らないことももう一つの理由だと思う。

ある国の中で優秀な人物が生まれる確率や、その人物が時代の波に乗って活躍できる確率は、母数の大きさに依存すると思う。なので、世襲によって母数を小さくすると、必然的に優秀な人物が誕生する可能性が減るように思う。

優秀な政治家が生まれないのは、世襲政治がまかり通っているからだと思うし、優秀な起業家が生まれないのも、教育にお金がかかりすぎるからだと思う。金持ちが子供を塾にやって、無理やり難関大学に合格させるのは、適正に合わない仕事をさせられるからむしろ不幸なのではと思えなくもない。

とはいえ、親というものは、子供に楽をさせてやりたいと思う生き物なので、なんとか富を継承する仕組みを作りたがる。特に、日本という国は、和を持って貴しと考える国なので、自分の子どもが可愛いあまりに、他人の間違ったやりかたも肯定してしまうところがある。つまり、内部の力で世直しをすることが難しいのではと思ったりする。

というわけで、タイトルにあるように、日本を再生するには、もう一度すべてを崩壊させるしかないのかなと思ったりする。

その崩壊の力が、中国や韓国などのアジアの力なのか、それとも金融の崩壊なのか、よくわからないけれど。。。

Saturday, February 5, 2011

資格になる学習サイト

最近、Smart.fmをやっているのだけど、この結果がそのままTOEICやTOEFLのような資格になったら面白いなと思った。

もちろん、TOEICやTOEFLのように厳格な試験をするのなら、会場に集まって試験官の監視の元でやる必要があるだろうけど、そもそも不正をしたら入社したあと仕事でついていけなくなるだろうから、不正をするメリットってあまりないような気がする。

例えば、採用する側の立場で過去1年にSmart.fmで100時間かけて単語を2000語覚えましたといった結果をみたら、勉強する姿勢を評価できと思う。

学習のプロセスから定量的な数値を割り出すことができれば、プロセスそのものをつかって、能力を証明するできそう。

また、例えば働きながら毎日1時間使って勉強したというような、生活習慣をも含めて評価をできるとすれば、より多くの能力を測れそうに思う。

とはいえ、仕事は、知識だけでやるものではなくて、コミュニケーション能力や、発想力といった数値化しにくい要素があるので、その数値だけで判断することは難しい可能性があるかな。

それから、プライバシの問題もあるかもしれない。純粋に能力をもって評価すべきならば、プロセスを問うべきではないかな。

日本的な企業で、ある程度の育成を考慮して採用するのならば、学習のプロセスは絶対に知りたい部分だけど、外資系のように単純に能力に対する賃金を支払うなら、10000語の単語をどうやって覚えようが同じように評価すべきなのかな。

その辺の判断は、採用側がすればよいことだけど、やっぱり勉強した後に、もう一度資格試験を受けにいくとうのは2度手間のような気がするので、なんとかそこを解決したWeb学習システムをつくれないものか。

Monday, January 31, 2011

ソーシャル・オーサリングツール

最近は、第二のソーシャルネットワークブームです。モバゲー・グリーに始まり、mixiのサンシャイン牧場とかFacebookのCitVilleなんて、やりはじめたら本当に中毒性があります。

さて、次に何がブームになるか少し考えてみました。

タイトルにもあるようにソーシャル・オーサリングツールが流行るのでは思ったりしています。

ソーシャルゲームをやっていて思うのは、何10時間も費やしてレベルを上げたあとで、「一体何やってんだろう?こんなに忙しいのに。。。」と罪悪感にかられることです。ゲームは確かに面白いですけど、生産性がないということに気づくと、ものすごい脱力感に襲われます。あの一日中テレビをみて過ごしてしまった日曜日の午後のような気分です。

これが、例えばプログラミング言語であるとか、コンピューターグラフィックスであれば、もしかするとその能力が役に立って、誰かから褒めてもらえたり、お金がもらえたりすることもあります。

しかし、こういった市場価値が高い能力は、身につけるのがなかなか苦痛で、嫌な人にとってはある種の苦行のように感じるはずです。例えば、英単語を20000語覚えるなんて、暗記が嫌いな人にとってみれば拷問です。

そこで、ソーシャル・オーサリングツール、ソーシャル・IDE、ソーシャル・学習ツールなどを作ってはどうかと思いました。

なんとなく遊んでいるうちにプログラミングが出来るようになって、それを誰かが買ってくれるようなプラットフォームを作れば、仕事と遊びを両立できたりするんじゃないでしょうか。あとは、ソフトウェアでお絵かきをして、それをそのまま公開すると誰かが買ってくれるとか、というのも面白そうです。それから、音楽なんかでも面白いことが出来そうですね。

特に、ゲームの要素が重要だと思っています。ソーシャルゲームに中毒性がある理由のひとつは、使った時間に応じて経験値が目に見えて上がるところです。レベルを友達に自慢できて優越感にひたれます。それに比べて学習は、経験値とかレベルが目に見えません。だから、資格をとるとか出来上がった作品を見せるしか、自分のレベルを自慢できないです。

しかも、自慢できるほどレベルを上げるには、気が遠くなるほど時間をつぎ込まないといけないです。だから、やる気にならないという負のサイクルがあります。それに比べてソーシャルゲームは、特にGreeやモバゲーのゲームは、クリックしているだけでレベルがあがる単純作業なのに、一般のひとを何十時間も虜にして、ついに廃人を生み出すほどの魅力があります。

つまり、なんとかそのゲームの魅力を、生産的な作業に使えないものかというのがアイデアの肝です。

すでに、単体でソーシャル機能をもった画像アップロードサイトとかプログラミングならGithubとか、動画ならニコニコ動画もそれに近いことをしていますけど、やっぱり初心者には敷居が高いです。それは、オーサリングツールとサイトの疎結合によるものだと思います。それをブラウザ上でできるくらいに簡単にして、しかもFacebookとかMixiなどのメジャーどころのプラットフォームで公開して、さらにゲーム的要素を加えて、しかも現金に準ずるの報酬をもらえるようにすると面白いのではないかと思ったりします。

例えば、Amazon Mechanical TurkにMinecraftとかSecondlifeとかの要素を加えるような組み合わせが一例です。他にもまだまだ組み合わせが考えられそうです。

そうえば、Greeとモバゲーへの規制の話が出ていましたが、安易な規制は新しいガラパゴスを生むだけなので控えめにして欲しいと思ったりします。日本のケータイ電話がガラパゴスの焦土化したいま、日本のIT業界で先端を走っているのはソーシャルゲームだけに思えたりします。わざわざ規制するのではなく、海外の若者をも虜にしたらいいんじゃないですかね。

Saturday, January 22, 2011

他の企業がFacebookに勝つには?

Facebookがついにトラヒック量でGoogleを追い抜いたというニュースが流れました。あれほど巨大で磐石だと思われていたGoogleにもついに転換点がきたというのは本当に衝撃です。しかもたった数百人の企業にその座を奪われるとは予想もつきませんでした。

さて、いまトップに立ったFacebookに他の企業が勝つためのシナリオをいくつか考えてみたので書いてみます。

まず、数あるソーシャルネットワークのなかでFacebookが一番になった最大の要因はアクティブユーザ数だと思います。特にMixiやその他のソーシャルネットワークでは、実名の登録をしないために亡霊のようなアカウントが増えていきます。不要になったら簡単に新しいアカウントを作れるのでネットワークの結びつきが希薄になってユーザが簡単にネットワークを離れていってしまいます。この問題を大学の卒業生ネットワークという形でクリアしたところで、ロイアリティのあるユーザを多く抱えることに成功してたのがFacebookのすごいところだと思います。実際に大学を卒業してしまうと連絡が取れなくなってしまうことが多いですが、Facebookが自動更新される卒業アルバムのような役割を担っているおかげで、懐かしい友達といつでもコンタクトをとれるようになりました。

他のソーシャルネットワークのなかでFacebookを打ち負かすことができるとすれば、中国系のrenrenかQzoneだと思います。いま、中国のインターネット人口はものすごい勢いでふくれあがっているので、Facebookの中国語対応が悪ければor中国政府がFacebookをブロックし続ければQzoneがユーザ数トップになる日がくるかもしれません。Facebookは現在5億人のアクティブユーザがいるといわれていますが、Qzoneも2009年の時点で2億人を超えているので、良い勝負を繰り広げることでしょう。Facebookのローカライズは、いまいちうまくいっていない印象で、日本人も英語を直訳したようなインターフェースにへきへきしている人がいるでしょうから、特に中国ローカライズは、生き残りのために必須だと思います。

GoogleがFacebookに勝つための鍵となるのは、あきらかにAndroidだと思います。いまでもユーザは、Facebook、mixi、Twitter、モバゲーを使い分けているわけなので、これを同期させたり、情報の流れを整理できるようなキラーアプリを作ればFacebookに勝てる可能性があります。幸いにもiPhoneがFlashを切り捨てているので、Flashがメインのケータイアプリを取り込めれば、勝機があります。ユーザは、誰かと繋がりたい欲望と、個人情報が晒される脅威のバランスの上でインターネットを使っています。一旦、インターネットのどこかに情報を公開してしまえば、たとえソーシャルネットであっても暴露される可能性がゼロではありません。それが携帯端末上であれば、そして個人の管理がしっかりしていれば、なんとか保護する仕組みを作れるかもしれません。ただしかし、これはいわゆるGoogleが進めているSaaSやクラウドに反する考え方なので、Googleが導入するには英断が必要でしょうけど。。。

それにしてもこの分野は、技術の進歩が早くて面白いですね。

Saturday, January 8, 2011

日本のケータイがiPhoneとAndroidに勝るもの

iPhoneとAndroidを使ってみると日本のケータイの良さが見えてきます。

日本のケータイが圧倒的にまさるものは、メールだと思います。日本のメールのリアルタイム性と確実性は、ちょっと異常なくらいハイクオリティだと思いました。日本でケータイを使っていると、メールが届くのは当たり前だし、メールが数分遅れると腹が立ちますけど、そのクオリティのメールサービスは世界のどこを探しても存在しないと思います。

iPhoneとAndroidには、SMSやMMSを受信できる機能がありますけど、あくまで電話からの送信に限られている上に、インターネットのメールアドレスから送ることができません。それに比べて、日本のケータイは、インターネットから送ったメールが数秒で携帯のメールボックスにダウンロードされて、しかもNotificationまでやってくれる親切設計です。ケータイの初期のころにCDMAがIMAPメールを採用していて、ひんしゅくを買ってボロ負けしていましたけど、iPhoneとAndroidのメールはいまだにそのレベルに留まっています。

確かに日本のiPhoneは、@softbank.ne.jpドメインのメールをMMSで受けられますけど、それは日本に限った話で海外のキャリアで実現出来ていないように思われます。日本クオリティのメールは、SMSのシグナリングと頑強なメールサーバという組み合わせで成りたっているので、キャリアがサポートしないと同じようなサービスが作れないのだと思います。国内キャリアが、メーラーとセットで海外に売り込んだりしたら、売れると思います。

Nexus SというかAndroidの感想

Nexus SというかAndroidを使ってみての感想を書いてみます。

まず、完成度は明らかにiPhoneに劣ると思います。戻るボタン押しているとアプリからOSの画面に戻ってしまうことにものすごく違和感を感じます。ボタンをホームボタンひとつにしているiPhoneは混乱が少ない良いハードだと感じました。

Androidのアプリの中で圧倒的に便利なのはナビとマップだと思います。正直な感想としては、Googleのサービスのなかで最も進化しつづけているのが地図サービスだと思いました。これからLocationによるサービスが増えてくるとすると、バックの地図インフラとしてはGoogleをしのぐ企業はしばらく現れないのではと思うほどの出来栄えだと思います。GoogleがiPhoneにナビを出し惜しむ気持ちがよく理解できます。AndroidはMapを中心としたOSに進化していくのではと空想するほどです。

一方、Googleのお家芸であるWebサービスを提供するブラウザは、まだまだ発展途上であると感じます。個人的な感想としては、Operaが一番サクサクしているように感じますが、タッチデバイスとの相性のせいでイライラさせられることが多いです。PCのブラウザではChromeがシェアを伸ばしているので、Chromeを移植すれば良いのではと思いますが、Chrome OSを計画している手前、それができない社内事情があるのではと思いました。大企業って大変ですね。

さらにもう一つ致命的に感じるのは、文字入力です。デフォルトで入力可能な言語がAppleに比べて圧倒的に少ないです。日本語を入力するためにWnnやSimejiをインストールしてみても、OSとの相性が悪くてクラッシュしたりすることがいまだにあります。

まとめると、Googleは、良くも悪くもゲリラ的で個々に光るものがあるものの統一感がなく、Appleは、ユーザインターフェースからすべてが統一されていて全体として美しいものの個性が光る部品がないように思えました。開発者の目から見るとやはりGoogleの方が良いように思うので、今後のシェアは3:7くらいに落ち着くのかなと思っています。Googleが勝つには、ブラウザの改善が不可欠だと思いました。Appleは、いまのライセンス戦略ではシェア3割が最大だと思うので、携帯のほかにセットトップボックスとかナビ専用端末とかとにかく新しい分野を開拓するしかないでしょうね。