Friday, February 25, 2011

抽象的な問題を抽象的なまま理解できるひと

最近、論文を読むことが多いのだけれど、明らかにプロトコルが実装できないような論文が存在する。もちろん、底辺の論文でそんな欠点があれば不採録なんだろうけど、おそらくその分野の最高峰である論文を読んでいてもそんなことを感じる。

最高峰の論文であれば当然、複数の査読者の査読を経ているはずなので、少なくともその査読者が納得した上で採録されたのだろう。しかし、一体どうやって査読者は、プロトコル実装が不可能な論文を評価したのか気になってくる。

おそらく、査読者は、抽象的な概念を抽象的なまま理解して、その抽象的な概念の斬新さを測ることができるということなのだろう。どうしても自分は、抽象的な概念を抽象的なまま理解するのが苦手で、少なくともひとつの実例に落として動作を再現した後に、その実例を抽象的な概念に再昇華させるという過程で概念を理解する。つまり、抽象的な概念が少なくともひとつの具体例に落ちなければ理解という到達点には至らないわけである。

そのあたりが、抽象的な概念を抽象的なまま理解できる人と、そうでない人の違いなんだろうけど、なかなかその次元に行くのは難しいな。というか。。。そんな欠点があったら、自分が査読者なら不採録判定してしまいそうだ。

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