Thursday, February 17, 2011

高齢化とソーシャルゲーム

最近、高齢化が進んでいて、特に若い世代に悲壮感が漂っているような気がします。

若い世代が悲壮感を感じる理由は、年功序列の勝ち組である老人たちが悠々自適な未来を手に入れているにも関わらず、より長い人生が残っている自分たちの未来が保障されていると信じられないからです。

生まれた時期がたった30年〜40年違ったばかりに、おいしい思いをできないと感じているところでしょう。

しかし、一番の理由というのは、相対的に劣等感を感じていることなのではないでしょうか。
人間というものは、相対的に幸せを感じるものなので、みんなが貧乏なら気にならないことでも、まわりに少しでも幸せな人がいると不幸せに気づいてしまいます。

高齢者は、年功序列によって権力を持っているので、わざわざ自分が不利になるルールを作ることはしないでしょう。たとえば、5年後から毎年500万円づつもらえるルールを、わざわざ改定する会社の役員はいないでしょう。

一方、若い世代は、どんなにあがいても簡単には勝てない、というよりもルールのせいで負けが決まった世界に放り出されて、途方に暮れてしまうことになります。そんな状況になると自尊心を保つために何か代わりのものを探し始めます。

そして、若い世代は、お金をあまり使わないで楽に相対的な優越感が得られるゲームの世界や仮想世界に没頭していくのです。

最近、ソーシャルゲームが爆発的に流行してきています。実際に、モバゲーやGreeをやってみると気づくことは、「作業ゲー」と呼ばれる単純作業をするだけのゲームが大半を占めています。たとえば、1日に60回づつ特定の場所をクリックするゲームが上位に入っていたりします。文章を読んでいると、そんなゲームがとてもおもしろいように思えないのですが、本当にそんなゲームしかないのです。

ソーシャルゲームの魅力といえば、ソーシャルな要素に集約されます。つまり、友達よりも高いステータスやアイテムを持っていることで優越感が得られるのです。だから、単純なクリックの繰り返しであっても、友達よりもたくさんクリックすれば、価値の高いアイテムが手に入るので、中毒的に繰り返してしまいます。

つまり、相対的な優位性を簡単に実感できるところにポイントがあります。しかも、実社会の相対的な優位性に比べて、ステータスが数値化されているので優位性をすぐに実感できます。

そうやって考えてみると、相対的な優位性の判断基準なんてものは、あまり意味がないものなのかもしれません。

お金をたくさん持っている優位性でも、異性にもてることによる優位性でも、ゲーム中のポイントの優位性でも、何の優位性であっても、自尊心を保つためには十分なのかもしれません。

今後、高齢化が進んでいくと、社会の不公平感がよりいっそう募り、若い世代は仮想的な世界に逃げ込んでいくのかなと、そんな未来を想像してしまいました。

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