Friday, April 1, 2011

アンチ原子力について思うこと

世間はアンチ原子力という風潮になっているけど、本当にそうなのか疑問に思うので、今思っていることをまとめてみる。

まず、尊敬していた技術系のブログが反原子力の記事を恥ずかしげもなく、感情的に掲げていることにがっかりする。技術者なら科学者なら、技術の本質や失敗の本質を論理的に判断してかいて欲しいと思う。

確かに、地震、津波、原子力発電所の事故は、本当に衝撃的な出来事だったと思う。終戦から50年以上経って平和ボケしていた頭に、あんな衝撃的な映像を連日のように流しこまれたら影響を受けない方がおかしいと思う。

しかし、原子力という技術は、本当にそんなに絶対領域の技術なんだろうか。他の技術に比べてそんなに違いがあるのだろうか。

人間がまだ「火」の存在を知らなかった頃、「火」というものは畏れ多いものであっただろうし、神のような存在であったに違いない。しかし、多くの実験を重ねていくうちに段々と火を制御することができるようになって、いまでは火のない生活など考えられなくなった。

火を自在に操れるようになるまでには、多くの失敗が合ったはずである。例えば、それによって命をはぐくんでくれていた森を全焼させてしまったこともあるだろう。それでも、人間は、火の特性を少しずつ学びながら制御できるようになった。

技術という物は、発明されたときは常に未知のものであるし、それから次第に使いこなせるようになっていく物である。はじめから特性が分かっている技術なんて存在しない。近代になって以降、技術は戦争のための技術として発展してきた。火薬、戦闘機、車、電気、コンピューターすべては、軍事技術として生まれて、多くの破壊や事故を起こしつつも、いまでは生活に不可欠なものとなっている。

それでは、人間がそれらの技術を発明すべきでなかったのか。この質問に対しては、原発事故が起きてしまった現在だって、ほとんどの人がNoと答えるだろう。アーミッシュかヤマギシような原始的な生活に賛成するひとは少数であろうし、そんな村をつくっても脱走するひとが多数だと思う。美味しいものを安く入手している人が横にいたら、我慢できる人なんていない。

原子力は特別なのかと考えると、技術としてみれば特に他の科学技術に比べて特別でないと思う。むしろずいぶんと枯れた技術で、もっと危ない未知の技術がたくさんある。原子力には分かっていないことが多いという反論をする人もいるかもしれないけど、他の技術だって分かっていないことだらけだ。いま放射能とかいって話題になっている陽子とか中性子を加速してぶつける実験をやっている研究だってある。そもそも、最先端の研究は、分からないことがあるからやっているのだ。それをやめたら発展は止まってしまう。そして、その技術が、繁栄を生むか破滅に導くかなんて誰も分からない。たまたま今回は失敗してしまっただけなのだ。

ただし、原子力が特別だったのは、技術そのものよりも運用の方にあると思う。とにかく、第二次世界大戦の原子爆弾は、強烈な印象を与えた。そのせいで、民間の企業が技術開発することが実質的に不可能になった。つまりは、政府の規制の下におかれながら開発されることになった。この技術の運用方法の間違いが原子力という技術を不幸な道へ導いたのだと思う。

原子力を民間で開発することが現実的でないのは事実である。しかしだからといって、政府や独占企業の不透明な開発を許してしまったのは大きな過ちだと思う。政府の計画的な研究開発のなかでは、毎年一定の成果を出さなければならないだろうし、成果を利用しなくてはならないという納税者の無言の圧力がある。その圧力のなかで、設計の不備や技術的な欠陥が残るまま、運用を始めてしまったのが原子力発電所だと思う。

そもそも、同じ大きさの震度や津波を受けても問題がなかった原子力発電所だって存在している。それに、今回の地震と津波を考慮して、より高い安全基準で設計し直すことだってできる。なのに、表向きの成果ばかり気にして、開発と運用を始めてしまった政府と電力会社、そしてそれを止められなかった有権者に責任があると思う。

まず、この悲惨な現実は、我々が選んだ未来だったということを認めなければならないと思う。政府や電力会社を糾弾するのは簡単だけれども、その政府を政治家を支持してきたとは有権者なのである。

いま、アンチ原子力という流れによって、技術の進歩を止めないで欲しいと思っている。原子力の研究だってすべきだし、コンピューターの研究だって同様にすべきだと思う。そうやって、人間は少しずつ科学を発展させてきたのだから。

そもそも地球や太陽にだって寿命があって、時間が経てばなくなってしまう。そのとき、人間には、なんとかそれを回避する技術を持っていて欲しいと願っている。もちろん、そんな未来まで人間が行き続けられるかどうか分からないけれども。

それから、原子力に関して追加して言うならば、安全に設計をして安全に運用して欲しいと思う。実験室の中ならうまくいくのだから、しっかり技術を蓄積すれば、発電所の中でもうまくいくはずである。ウランの核分裂反応という科学的な現象だけをみれば実験室で完全に制御できる技術であって、神の領域ではない。それで費用対効果が悪くなるなら、原子力発電という事業を辞めればよいだけの話である。

それからもう一つ、いま我々が再発明しなければならない技術は、民主主義とか政府なのかもしれないとも思う。まあ、まだまだ先は長そうだけど。。。

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