NTTのクラウド、VPSサービスであるWebARENAを利用しているのですが、解約にFAXが必要なことがわかって驚いてしまった。
入会からディスクやメモリの容量を変更するまでWebからクレジットカードをつかってでできるというのに、解約だけはWebからできないらしい。どうしてそこに解約ボタンをつけておかなかったのかと問いただしたいな。
いまどきFAXとはね。ちなみにpdfをメールに添付しても良いかと訪ねたところ、低調に断られた。NTTらしいというか日本らしい設計ですね。
Monday, February 28, 2011
Sunday, February 27, 2011
Netflixを試してみました。
話題になっているビデオオンデマンドサービスNetflixを試してみました。
サービスは、オンラインのTsutaya + ビデオオンデマンドの組み合わせで、パソコンや対応機器でも再生できるし、DVDの宅配レンタルも可能なサービスです。
日本だと、OyaOとTsutayaがくっついたようなサービスだと思いますが、特徴としてはiPhoneやiPadのようなモバイル機器にも対応しているところでしょうか。
今回はブラウザで視聴してみたのですが、おそらくsilverlight を使っているみたいで、なかなかのユーザインターフェースでした。ブラウザ版のQuick Timeみたいでした。
日本のオンデマンドサービスと比較するならば、やはりコンテンツの品ぞろえが違うと感じました。いまの日本のオンデマンドサービスは、Tsutayaこのサービスがあればたぶんレンタル屋に足を運ぶことはなくなると思います。
値段は月々約7ドル(DVD宅配サービスをつけると9ドル)とかなり低めの設定になっています。これは、たくさんみればかなり得なような気がしますけど、週末だけとかという会員が多数になると思うので、全体をみると儲けがでるサービスなのかなと思いました。
iTunesのレンタルと比べても、お得な感じがするので加入者が増えるのも理解ができますが、1年後加入し続けているユーザがどれくらいいるのかが気になるところです。ヘビーに視聴するユーザばかりが残ると確実に赤字だと思います。
逆に、Netflixアラートサービスとか作ったらおもしろいかもしれません。3ヶ月連続で視聴回数が少なかったら大会を促すサービスです。なんか訴えられそうですけど。。。
ちなみに、結構日本のアニメもラインナップの入っていて、攻殻機動隊とかカウボーイビバップ?とか鉄腕アトムとかそれなりに充実していました。
それにしてもこういうサービスは、国ごとにコンテンツの管理や著作権の問題があってグローバルに展開できないところがつらいですね。その分、日本の企業にもコピーキャット戦略の余地があるということですかね。
あと、もし仮にNetflixが日本で視聴できるようになると、泣きたくなるISPがでてくるでしょうね。Youtubeにはずいぶん泣かされたのでしょうが、今回は著作権さまさまな国内ISPというところでしょうか。
サービスは、オンラインのTsutaya + ビデオオンデマンドの組み合わせで、パソコンや対応機器でも再生できるし、DVDの宅配レンタルも可能なサービスです。
日本だと、OyaOとTsutayaがくっついたようなサービスだと思いますが、特徴としてはiPhoneやiPadのようなモバイル機器にも対応しているところでしょうか。
今回はブラウザで視聴してみたのですが、おそらくsilverlight を使っているみたいで、なかなかのユーザインターフェースでした。ブラウザ版のQuick Timeみたいでした。
日本のオンデマンドサービスと比較するならば、やはりコンテンツの品ぞろえが違うと感じました。いまの日本のオンデマンドサービスは、Tsutayaこのサービスがあればたぶんレンタル屋に足を運ぶことはなくなると思います。
値段は月々約7ドル(DVD宅配サービスをつけると9ドル)とかなり低めの設定になっています。これは、たくさんみればかなり得なような気がしますけど、週末だけとかという会員が多数になると思うので、全体をみると儲けがでるサービスなのかなと思いました。
iTunesのレンタルと比べても、お得な感じがするので加入者が増えるのも理解ができますが、1年後加入し続けているユーザがどれくらいいるのかが気になるところです。ヘビーに視聴するユーザばかりが残ると確実に赤字だと思います。
逆に、Netflixアラートサービスとか作ったらおもしろいかもしれません。3ヶ月連続で視聴回数が少なかったら大会を促すサービスです。なんか訴えられそうですけど。。。
ちなみに、結構日本のアニメもラインナップの入っていて、攻殻機動隊とかカウボーイビバップ?とか鉄腕アトムとかそれなりに充実していました。
それにしてもこういうサービスは、国ごとにコンテンツの管理や著作権の問題があってグローバルに展開できないところがつらいですね。その分、日本の企業にもコピーキャット戦略の余地があるということですかね。
あと、もし仮にNetflixが日本で視聴できるようになると、泣きたくなるISPがでてくるでしょうね。Youtubeにはずいぶん泣かされたのでしょうが、今回は著作権さまさまな国内ISPというところでしょうか。
Friday, February 25, 2011
抽象的な問題を抽象的なまま理解できるひと
最近、論文を読むことが多いのだけれど、明らかにプロトコルが実装できないような論文が存在する。もちろん、底辺の論文でそんな欠点があれば不採録なんだろうけど、おそらくその分野の最高峰である論文を読んでいてもそんなことを感じる。
最高峰の論文であれば当然、複数の査読者の査読を経ているはずなので、少なくともその査読者が納得した上で採録されたのだろう。しかし、一体どうやって査読者は、プロトコル実装が不可能な論文を評価したのか気になってくる。
おそらく、査読者は、抽象的な概念を抽象的なまま理解して、その抽象的な概念の斬新さを測ることができるということなのだろう。どうしても自分は、抽象的な概念を抽象的なまま理解するのが苦手で、少なくともひとつの実例に落として動作を再現した後に、その実例を抽象的な概念に再昇華させるという過程で概念を理解する。つまり、抽象的な概念が少なくともひとつの具体例に落ちなければ理解という到達点には至らないわけである。
そのあたりが、抽象的な概念を抽象的なまま理解できる人と、そうでない人の違いなんだろうけど、なかなかその次元に行くのは難しいな。というか。。。そんな欠点があったら、自分が査読者なら不採録判定してしまいそうだ。
最高峰の論文であれば当然、複数の査読者の査読を経ているはずなので、少なくともその査読者が納得した上で採録されたのだろう。しかし、一体どうやって査読者は、プロトコル実装が不可能な論文を評価したのか気になってくる。
おそらく、査読者は、抽象的な概念を抽象的なまま理解して、その抽象的な概念の斬新さを測ることができるということなのだろう。どうしても自分は、抽象的な概念を抽象的なまま理解するのが苦手で、少なくともひとつの実例に落として動作を再現した後に、その実例を抽象的な概念に再昇華させるという過程で概念を理解する。つまり、抽象的な概念が少なくともひとつの具体例に落ちなければ理解という到達点には至らないわけである。
そのあたりが、抽象的な概念を抽象的なまま理解できる人と、そうでない人の違いなんだろうけど、なかなかその次元に行くのは難しいな。というか。。。そんな欠点があったら、自分が査読者なら不採録判定してしまいそうだ。
Thursday, February 17, 2011
高齢化とソーシャルゲーム
最近、高齢化が進んでいて、特に若い世代に悲壮感が漂っているような気がします。
若い世代が悲壮感を感じる理由は、年功序列の勝ち組である老人たちが悠々自適な未来を手に入れているにも関わらず、より長い人生が残っている自分たちの未来が保障されていると信じられないからです。
生まれた時期がたった30年〜40年違ったばかりに、おいしい思いをできないと感じているところでしょう。
しかし、一番の理由というのは、相対的に劣等感を感じていることなのではないでしょうか。
人間というものは、相対的に幸せを感じるものなので、みんなが貧乏なら気にならないことでも、まわりに少しでも幸せな人がいると不幸せに気づいてしまいます。
高齢者は、年功序列によって権力を持っているので、わざわざ自分が不利になるルールを作ることはしないでしょう。たとえば、5年後から毎年500万円づつもらえるルールを、わざわざ改定する会社の役員はいないでしょう。
一方、若い世代は、どんなにあがいても簡単には勝てない、というよりもルールのせいで負けが決まった世界に放り出されて、途方に暮れてしまうことになります。そんな状況になると自尊心を保つために何か代わりのものを探し始めます。
そして、若い世代は、お金をあまり使わないで楽に相対的な優越感が得られるゲームの世界や仮想世界に没頭していくのです。
最近、ソーシャルゲームが爆発的に流行してきています。実際に、モバゲーやGreeをやってみると気づくことは、「作業ゲー」と呼ばれる単純作業をするだけのゲームが大半を占めています。たとえば、1日に60回づつ特定の場所をクリックするゲームが上位に入っていたりします。文章を読んでいると、そんなゲームがとてもおもしろいように思えないのですが、本当にそんなゲームしかないのです。
ソーシャルゲームの魅力といえば、ソーシャルな要素に集約されます。つまり、友達よりも高いステータスやアイテムを持っていることで優越感が得られるのです。だから、単純なクリックの繰り返しであっても、友達よりもたくさんクリックすれば、価値の高いアイテムが手に入るので、中毒的に繰り返してしまいます。
つまり、相対的な優位性を簡単に実感できるところにポイントがあります。しかも、実社会の相対的な優位性に比べて、ステータスが数値化されているので優位性をすぐに実感できます。
そうやって考えてみると、相対的な優位性の判断基準なんてものは、あまり意味がないものなのかもしれません。
お金をたくさん持っている優位性でも、異性にもてることによる優位性でも、ゲーム中のポイントの優位性でも、何の優位性であっても、自尊心を保つためには十分なのかもしれません。
今後、高齢化が進んでいくと、社会の不公平感がよりいっそう募り、若い世代は仮想的な世界に逃げ込んでいくのかなと、そんな未来を想像してしまいました。
若い世代が悲壮感を感じる理由は、年功序列の勝ち組である老人たちが悠々自適な未来を手に入れているにも関わらず、より長い人生が残っている自分たちの未来が保障されていると信じられないからです。
生まれた時期がたった30年〜40年違ったばかりに、おいしい思いをできないと感じているところでしょう。
しかし、一番の理由というのは、相対的に劣等感を感じていることなのではないでしょうか。
人間というものは、相対的に幸せを感じるものなので、みんなが貧乏なら気にならないことでも、まわりに少しでも幸せな人がいると不幸せに気づいてしまいます。
高齢者は、年功序列によって権力を持っているので、わざわざ自分が不利になるルールを作ることはしないでしょう。たとえば、5年後から毎年500万円づつもらえるルールを、わざわざ改定する会社の役員はいないでしょう。
一方、若い世代は、どんなにあがいても簡単には勝てない、というよりもルールのせいで負けが決まった世界に放り出されて、途方に暮れてしまうことになります。そんな状況になると自尊心を保つために何か代わりのものを探し始めます。
そして、若い世代は、お金をあまり使わないで楽に相対的な優越感が得られるゲームの世界や仮想世界に没頭していくのです。
最近、ソーシャルゲームが爆発的に流行してきています。実際に、モバゲーやGreeをやってみると気づくことは、「作業ゲー」と呼ばれる単純作業をするだけのゲームが大半を占めています。たとえば、1日に60回づつ特定の場所をクリックするゲームが上位に入っていたりします。文章を読んでいると、そんなゲームがとてもおもしろいように思えないのですが、本当にそんなゲームしかないのです。
ソーシャルゲームの魅力といえば、ソーシャルな要素に集約されます。つまり、友達よりも高いステータスやアイテムを持っていることで優越感が得られるのです。だから、単純なクリックの繰り返しであっても、友達よりもたくさんクリックすれば、価値の高いアイテムが手に入るので、中毒的に繰り返してしまいます。
つまり、相対的な優位性を簡単に実感できるところにポイントがあります。しかも、実社会の相対的な優位性に比べて、ステータスが数値化されているので優位性をすぐに実感できます。
そうやって考えてみると、相対的な優位性の判断基準なんてものは、あまり意味がないものなのかもしれません。
お金をたくさん持っている優位性でも、異性にもてることによる優位性でも、ゲーム中のポイントの優位性でも、何の優位性であっても、自尊心を保つためには十分なのかもしれません。
今後、高齢化が進んでいくと、社会の不公平感がよりいっそう募り、若い世代は仮想的な世界に逃げ込んでいくのかなと、そんな未来を想像してしまいました。
Saturday, February 12, 2011
Twitterのメールアドレスからアカウントが検索できる機能の危険性について
日本では、Twitterユーザの多くが実名を使わずに匿名で利用していると思う。これが、日本でTwitterが爆発的に流行った理由だと思うが、この「匿名」には落とし穴があることを気を付けた方が良い。
今日、なにげにTwitterをつかっていたら、なんとメールアドレスからアカウント名が検索できることに気づいた。ということは、メールアドレスを知っていると、その人のアカウントを得的できるということだ。まあ、設定で検索をできないようにできるみたいだけど、多くのひとはデフォルトのまま使っているだろうから注意が必要かも。
http://netafull.net/twitter/033722.html
実際に、FacebookとLinkedInから名前の一部を取り出して、メールアドレスを合成してそれがアカウントの持ち主と紐付けられるかといった研究をしている人たちがいる。それによると数百万件のアドレスが抽出できたらしい。もちろん全数探索したわけではなくて、一部を探索しただけでその数が抽出できるということだ。
そうなるとユーザ側の自衛策としては、メールアドレスをうまく切り替えるしかないのかな。しかし、それは極めてめんどくさい。
あーだれか、メールアドレスを自在に切り替えて匿名性を保つシステムを作ってくれないものかな。。。
今日、なにげにTwitterをつかっていたら、なんとメールアドレスからアカウント名が検索できることに気づいた。ということは、メールアドレスを知っていると、その人のアカウントを得的できるということだ。まあ、設定で検索をできないようにできるみたいだけど、多くのひとはデフォルトのまま使っているだろうから注意が必要かも。
http://netafull.net/twitter/033722.html
実際に、FacebookとLinkedInから名前の一部を取り出して、メールアドレスを合成してそれがアカウントの持ち主と紐付けられるかといった研究をしている人たちがいる。それによると数百万件のアドレスが抽出できたらしい。もちろん全数探索したわけではなくて、一部を探索しただけでその数が抽出できるということだ。
そうなるとユーザ側の自衛策としては、メールアドレスをうまく切り替えるしかないのかな。しかし、それは極めてめんどくさい。
あーだれか、メールアドレスを自在に切り替えて匿名性を保つシステムを作ってくれないものかな。。。
ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのか
海外では流行っていたFacebookが日本で流行りだして、それにともなって日本の非実名アカウントも削除され始めた。
http://togetter.com/li/98367
いま、ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのでしょうか。ちょうどアメリカの大学生と話す機会があったとき、その学生がはじめに聞いた質問は、「日本のソーシャルネットは、なぜ匿名なのですか」という内容だった。文化が違えば価値観も違うものだと思った。
日本のソーシャルネットワークといえば、mixiで実名を出しいたばかりに、ひどい目にあったというニュースをあちこちで見るので、実名にするは、慎重さが足りないか、よっぽどの有名人で意図的にやっているのか、の二択なのかと思うほどだ。なので、実名が常識のFacebookは、日本人にとってむしろ意外に思ったりする。
mixiは、初期の頃こそ招待制で実名の情報を集めていたが、ユーザ数が頭打ちしたために方針を変えざるえなくなり、結果的に匿名のソーシャルネットワークになってしまった。ユーザ数が頭打ちしたときに、ビジネスモデルとして海外展開をできなかったところは失敗だと思う。それが日本初のWebサービスの弱点だと思うけど、その話は又今度にする。
Facebookがいま非実名アカウントを削除しているのには理解ができる。つまりに、mixiのように匿名を許すと簡単に使い捨てられるアカウントが増加してしまうからだ。しかも、Facebookは、ユーザ数の頭打ちを海外展開ということでうまくしのぐことができた。アメリカの人口が約2億人でアクティブユーザ数が5億人なので、海外ユーザの方が多いことに気づく。
おそらくFacebookとmixiの戦いは、Facebookの勝利に終わるだろう。mixiとFacebookの両方にアカウントを持つユーザは、実名にせざる得ないFacebookのアカウントを捨てられないので、Facebookを残すことになるだろう。Facebookはもともと多言語へのローカライズが下手なところがあるが、それも徐々に克服するのではないだろうか。プライバシを憂慮するユーザが敬遠する可能性があるが、これまでのWebサービスの歴史を見る限り、ユーザはプライバシと便利さを天秤にかけたとき、便利さを取る傾向にある。
特に、海外での生活を経験している知識層や富裕層をうまく取り込むことができれば、プレミア価値のあるソーシャルネットワークができるであろう。世界の富は、少数が握っているので、少数の富裕層のマーケットを手にいれることができれば、その資金でサービスを発展させて競争相手に勝つことができるだろう。
まとめると、ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのかという問の答えは、yesだと思う。そして、それはFacebookという形で実現すると思う。
http://togetter.com/li/98367
いま、ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのでしょうか。ちょうどアメリカの大学生と話す機会があったとき、その学生がはじめに聞いた質問は、「日本のソーシャルネットは、なぜ匿名なのですか」という内容だった。文化が違えば価値観も違うものだと思った。
日本のソーシャルネットワークといえば、mixiで実名を出しいたばかりに、ひどい目にあったというニュースをあちこちで見るので、実名にするは、慎重さが足りないか、よっぽどの有名人で意図的にやっているのか、の二択なのかと思うほどだ。なので、実名が常識のFacebookは、日本人にとってむしろ意外に思ったりする。
mixiは、初期の頃こそ招待制で実名の情報を集めていたが、ユーザ数が頭打ちしたために方針を変えざるえなくなり、結果的に匿名のソーシャルネットワークになってしまった。ユーザ数が頭打ちしたときに、ビジネスモデルとして海外展開をできなかったところは失敗だと思う。それが日本初のWebサービスの弱点だと思うけど、その話は又今度にする。
一方のFacebookは大学の(在籍)卒業アルバムのような意味を果たしているので、実名の意義が大きい。普通なら連絡が途絶えてしまうような卒業後の関係も、Facebookを使えばあまりコストを払わなくてもつながっていられる。そして、実名のソーシャルネットワークは、他のものに比べて使い捨てができないのも特徴だと思う。その結果、高いロイヤリティのあるユーザが芋づる式に増えるという、磐石のビジネスモデルを実現している。
Facebookがいま非実名アカウントを削除しているのには理解ができる。つまりに、mixiのように匿名を許すと簡単に使い捨てられるアカウントが増加してしまうからだ。しかも、Facebookは、ユーザ数の頭打ちを海外展開ということでうまくしのぐことができた。アメリカの人口が約2億人でアクティブユーザ数が5億人なので、海外ユーザの方が多いことに気づく。
おそらくFacebookとmixiの戦いは、Facebookの勝利に終わるだろう。mixiとFacebookの両方にアカウントを持つユーザは、実名にせざる得ないFacebookのアカウントを捨てられないので、Facebookを残すことになるだろう。Facebookはもともと多言語へのローカライズが下手なところがあるが、それも徐々に克服するのではないだろうか。プライバシを憂慮するユーザが敬遠する可能性があるが、これまでのWebサービスの歴史を見る限り、ユーザはプライバシと便利さを天秤にかけたとき、便利さを取る傾向にある。
特に、海外での生活を経験している知識層や富裕層をうまく取り込むことができれば、プレミア価値のあるソーシャルネットワークができるであろう。世界の富は、少数が握っているので、少数の富裕層のマーケットを手にいれることができれば、その資金でサービスを発展させて競争相手に勝つことができるだろう。
まとめると、ソーシャルネットワークは、実名に向かっているのかという問の答えは、yesだと思う。そして、それはFacebookという形で実現すると思う。
Monday, February 7, 2011
日本が再生するには。。。一度崩壊させるしかないのかな。
なんか、ニュースで暗い話題ばかりで、どうしたら日本を再生出来るかという話があちこちで書かれているけれど、どれも理想を語っているものの、再生のシナリオが見えないなと思ったりする。確かに、雇用の流動化をすればうまくいきそうだけど、それだけの指揮をできる政治家っているんだろうか。
よくよく歴史を思い出してみると、日本は自らの力で再生できたことがこの100年間に一度もなかったのではないかと思う。いまままでの再生は常に外圧による崩壊が再生の引き金となっていたように思う。
例えば、明治維新は、実質的にいうと江戸幕府の解体という見方ができる。江戸時代は鎖国を続けていたものの、出島での海外との公益をやっていたわけで、開国していなかったわけではない。ただし、出島というシステムによって、一部の特権階級だけが、海外からの情報や富を独占していただけに過ぎない。その古い封建的な政府や仕組みを崩したのが明治維新だと思う。
次はやはり第二次世界大戦で、これも天皇や財閥の封建的な仕組みを敗戦によって破壊できたからこそ再生できたと思う。戦争に負けなかったとしたら、特権的な階級にあった財閥が力を持ち続けていただろうし、財閥は世襲を続けていただろう。
そもそも、世襲が効率を悪くする理由は、優秀な人物の子供が優秀であるとは限らないからだ。また、仕事の上で優秀な人物が、優秀な父親として子供を育てられるとは限らないことももう一つの理由だと思う。
ある国の中で優秀な人物が生まれる確率や、その人物が時代の波に乗って活躍できる確率は、母数の大きさに依存すると思う。なので、世襲によって母数を小さくすると、必然的に優秀な人物が誕生する可能性が減るように思う。
優秀な政治家が生まれないのは、世襲政治がまかり通っているからだと思うし、優秀な起業家が生まれないのも、教育にお金がかかりすぎるからだと思う。金持ちが子供を塾にやって、無理やり難関大学に合格させるのは、適正に合わない仕事をさせられるからむしろ不幸なのではと思えなくもない。
とはいえ、親というものは、子供に楽をさせてやりたいと思う生き物なので、なんとか富を継承する仕組みを作りたがる。特に、日本という国は、和を持って貴しと考える国なので、自分の子どもが可愛いあまりに、他人の間違ったやりかたも肯定してしまうところがある。つまり、内部の力で世直しをすることが難しいのではと思ったりする。
というわけで、タイトルにあるように、日本を再生するには、もう一度すべてを崩壊させるしかないのかなと思ったりする。
その崩壊の力が、中国や韓国などのアジアの力なのか、それとも金融の崩壊なのか、よくわからないけれど。。。
よくよく歴史を思い出してみると、日本は自らの力で再生できたことがこの100年間に一度もなかったのではないかと思う。いまままでの再生は常に外圧による崩壊が再生の引き金となっていたように思う。
例えば、明治維新は、実質的にいうと江戸幕府の解体という見方ができる。江戸時代は鎖国を続けていたものの、出島での海外との公益をやっていたわけで、開国していなかったわけではない。ただし、出島というシステムによって、一部の特権階級だけが、海外からの情報や富を独占していただけに過ぎない。その古い封建的な政府や仕組みを崩したのが明治維新だと思う。
次はやはり第二次世界大戦で、これも天皇や財閥の封建的な仕組みを敗戦によって破壊できたからこそ再生できたと思う。戦争に負けなかったとしたら、特権的な階級にあった財閥が力を持ち続けていただろうし、財閥は世襲を続けていただろう。
そもそも、世襲が効率を悪くする理由は、優秀な人物の子供が優秀であるとは限らないからだ。また、仕事の上で優秀な人物が、優秀な父親として子供を育てられるとは限らないことももう一つの理由だと思う。
ある国の中で優秀な人物が生まれる確率や、その人物が時代の波に乗って活躍できる確率は、母数の大きさに依存すると思う。なので、世襲によって母数を小さくすると、必然的に優秀な人物が誕生する可能性が減るように思う。
優秀な政治家が生まれないのは、世襲政治がまかり通っているからだと思うし、優秀な起業家が生まれないのも、教育にお金がかかりすぎるからだと思う。金持ちが子供を塾にやって、無理やり難関大学に合格させるのは、適正に合わない仕事をさせられるからむしろ不幸なのではと思えなくもない。
とはいえ、親というものは、子供に楽をさせてやりたいと思う生き物なので、なんとか富を継承する仕組みを作りたがる。特に、日本という国は、和を持って貴しと考える国なので、自分の子どもが可愛いあまりに、他人の間違ったやりかたも肯定してしまうところがある。つまり、内部の力で世直しをすることが難しいのではと思ったりする。
というわけで、タイトルにあるように、日本を再生するには、もう一度すべてを崩壊させるしかないのかなと思ったりする。
その崩壊の力が、中国や韓国などのアジアの力なのか、それとも金融の崩壊なのか、よくわからないけれど。。。
Saturday, February 5, 2011
資格になる学習サイト
最近、Smart.fmをやっているのだけど、この結果がそのままTOEICやTOEFLのような資格になったら面白いなと思った。
もちろん、TOEICやTOEFLのように厳格な試験をするのなら、会場に集まって試験官の監視の元でやる必要があるだろうけど、そもそも不正をしたら入社したあと仕事でついていけなくなるだろうから、不正をするメリットってあまりないような気がする。
例えば、採用する側の立場で過去1年にSmart.fmで100時間かけて単語を2000語覚えましたといった結果をみたら、勉強する姿勢を評価できと思う。
学習のプロセスから定量的な数値を割り出すことができれば、プロセスそのものをつかって、能力を証明するできそう。
また、例えば働きながら毎日1時間使って勉強したというような、生活習慣をも含めて評価をできるとすれば、より多くの能力を測れそうに思う。
とはいえ、仕事は、知識だけでやるものではなくて、コミュニケーション能力や、発想力といった数値化しにくい要素があるので、その数値だけで判断することは難しい可能性があるかな。
それから、プライバシの問題もあるかもしれない。純粋に能力をもって評価すべきならば、プロセスを問うべきではないかな。
日本的な企業で、ある程度の育成を考慮して採用するのならば、学習のプロセスは絶対に知りたい部分だけど、外資系のように単純に能力に対する賃金を支払うなら、10000語の単語をどうやって覚えようが同じように評価すべきなのかな。
その辺の判断は、採用側がすればよいことだけど、やっぱり勉強した後に、もう一度資格試験を受けにいくとうのは2度手間のような気がするので、なんとかそこを解決したWeb学習システムをつくれないものか。
もちろん、TOEICやTOEFLのように厳格な試験をするのなら、会場に集まって試験官の監視の元でやる必要があるだろうけど、そもそも不正をしたら入社したあと仕事でついていけなくなるだろうから、不正をするメリットってあまりないような気がする。
例えば、採用する側の立場で過去1年にSmart.fmで100時間かけて単語を2000語覚えましたといった結果をみたら、勉強する姿勢を評価できと思う。
学習のプロセスから定量的な数値を割り出すことができれば、プロセスそのものをつかって、能力を証明するできそう。
また、例えば働きながら毎日1時間使って勉強したというような、生活習慣をも含めて評価をできるとすれば、より多くの能力を測れそうに思う。
とはいえ、仕事は、知識だけでやるものではなくて、コミュニケーション能力や、発想力といった数値化しにくい要素があるので、その数値だけで判断することは難しい可能性があるかな。
それから、プライバシの問題もあるかもしれない。純粋に能力をもって評価すべきならば、プロセスを問うべきではないかな。
日本的な企業で、ある程度の育成を考慮して採用するのならば、学習のプロセスは絶対に知りたい部分だけど、外資系のように単純に能力に対する賃金を支払うなら、10000語の単語をどうやって覚えようが同じように評価すべきなのかな。
その辺の判断は、採用側がすればよいことだけど、やっぱり勉強した後に、もう一度資格試験を受けにいくとうのは2度手間のような気がするので、なんとかそこを解決したWeb学習システムをつくれないものか。
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