Saturday, June 11, 2011

AKB商法ってすごい

ブログなんかを見ているとAKB商法について否定的な意見を見つけるけど、実際AKB商法ってすごいと思う。まず、ここ数年はCDが売れなくなったと言われて久しい。そんななかミリオンセールスを達成して記録を塗り替えるほどの売り上げを上げたのだから、すごいと言うしかない。

AKB商法が嫌いだって言う人は、いつも批判ばかりして他人が儲けているのが羨ましくて、それでいて陰口を叩くしか能がない人なんじゃないかな。

AKB商法について倫理的な面からみると、善し悪しの判断が分かれるのは仕方ないと思う。実際に人気を投機的に煽って、購入に向かわせている手口なんかは、詐欺すれすれと言ってもいいかもしれない。そして、総選挙のためにお金を貢いでいる人は、詐欺に騙されて入れ込んでいるようにしか見えないのも事実である。しかしながら、やっていることがどんなに詐欺に近くても、それが合法的である以上、非難される理由はないと思う。もし非難されるべきものがあるとすれば、それは法律の方だと思う。

与えられた制度の中で他の人よりもお金を儲ける方法を思いついて、それを実行している秋本と言う人は頭が良いし褒められても良いと思う。そして、それを見てすごいと思った人は、第二のAKBを作ったり、むしろそれに対抗して歌唱力で売り上げを上げるグループを作ったり、もっと活発に競争していけば良いのではないかな。批判だけじゃなくて行動で。

また、AKB商法が実力のないアイドルグループのお祭りだと思うひとは、自分が好きだと思う楽曲をもっと探したり、それが人気になるようなコンサートに通ったりすれば良いと思う。そもそも他人が何に興味を持とうと勝手だし、むしろ自分が何が好きなのかの方がもっと大切なんじゃないかな。本当に好きな音楽に浸っているときは、それで幸せになれるよね。

まあ、個人的には、実際のところAKBの楽曲をYoutubeで聴いてみてちょっとびっくりしたりしたんだけどね。ポップス(大衆音楽)であるはずなのに大衆向けじゃなくてあきらかにターゲットを絞った楽曲作りをしているので、たぶん家族を持っている人とかあまり好きになれないんじゃないかな。

それに、カチューシャとかシュシュとか、女性雑誌にしかでてこないような単語が歌詞に使われていて、しかもその作詞は50歳近いオッサンがやっていると考えると気持ち悪くてしょうがない。秋本って人がアンアンとか読みながら作詞しているところを想像してしまった。

まあ、そういうのが好きな人もいるし、そのマーケティングをしっかりやって、真面目にアンアンを読んで勉強して、結果を出しているところは、素直に評価すべきだと思う。好きか好きじゃないかは別にして。。。

Friday, April 1, 2011

アンチ原子力について思うこと

世間はアンチ原子力という風潮になっているけど、本当にそうなのか疑問に思うので、今思っていることをまとめてみる。

まず、尊敬していた技術系のブログが反原子力の記事を恥ずかしげもなく、感情的に掲げていることにがっかりする。技術者なら科学者なら、技術の本質や失敗の本質を論理的に判断してかいて欲しいと思う。

確かに、地震、津波、原子力発電所の事故は、本当に衝撃的な出来事だったと思う。終戦から50年以上経って平和ボケしていた頭に、あんな衝撃的な映像を連日のように流しこまれたら影響を受けない方がおかしいと思う。

しかし、原子力という技術は、本当にそんなに絶対領域の技術なんだろうか。他の技術に比べてそんなに違いがあるのだろうか。

人間がまだ「火」の存在を知らなかった頃、「火」というものは畏れ多いものであっただろうし、神のような存在であったに違いない。しかし、多くの実験を重ねていくうちに段々と火を制御することができるようになって、いまでは火のない生活など考えられなくなった。

火を自在に操れるようになるまでには、多くの失敗が合ったはずである。例えば、それによって命をはぐくんでくれていた森を全焼させてしまったこともあるだろう。それでも、人間は、火の特性を少しずつ学びながら制御できるようになった。

技術という物は、発明されたときは常に未知のものであるし、それから次第に使いこなせるようになっていく物である。はじめから特性が分かっている技術なんて存在しない。近代になって以降、技術は戦争のための技術として発展してきた。火薬、戦闘機、車、電気、コンピューターすべては、軍事技術として生まれて、多くの破壊や事故を起こしつつも、いまでは生活に不可欠なものとなっている。

それでは、人間がそれらの技術を発明すべきでなかったのか。この質問に対しては、原発事故が起きてしまった現在だって、ほとんどの人がNoと答えるだろう。アーミッシュかヤマギシような原始的な生活に賛成するひとは少数であろうし、そんな村をつくっても脱走するひとが多数だと思う。美味しいものを安く入手している人が横にいたら、我慢できる人なんていない。

原子力は特別なのかと考えると、技術としてみれば特に他の科学技術に比べて特別でないと思う。むしろずいぶんと枯れた技術で、もっと危ない未知の技術がたくさんある。原子力には分かっていないことが多いという反論をする人もいるかもしれないけど、他の技術だって分かっていないことだらけだ。いま放射能とかいって話題になっている陽子とか中性子を加速してぶつける実験をやっている研究だってある。そもそも、最先端の研究は、分からないことがあるからやっているのだ。それをやめたら発展は止まってしまう。そして、その技術が、繁栄を生むか破滅に導くかなんて誰も分からない。たまたま今回は失敗してしまっただけなのだ。

ただし、原子力が特別だったのは、技術そのものよりも運用の方にあると思う。とにかく、第二次世界大戦の原子爆弾は、強烈な印象を与えた。そのせいで、民間の企業が技術開発することが実質的に不可能になった。つまりは、政府の規制の下におかれながら開発されることになった。この技術の運用方法の間違いが原子力という技術を不幸な道へ導いたのだと思う。

原子力を民間で開発することが現実的でないのは事実である。しかしだからといって、政府や独占企業の不透明な開発を許してしまったのは大きな過ちだと思う。政府の計画的な研究開発のなかでは、毎年一定の成果を出さなければならないだろうし、成果を利用しなくてはならないという納税者の無言の圧力がある。その圧力のなかで、設計の不備や技術的な欠陥が残るまま、運用を始めてしまったのが原子力発電所だと思う。

そもそも、同じ大きさの震度や津波を受けても問題がなかった原子力発電所だって存在している。それに、今回の地震と津波を考慮して、より高い安全基準で設計し直すことだってできる。なのに、表向きの成果ばかり気にして、開発と運用を始めてしまった政府と電力会社、そしてそれを止められなかった有権者に責任があると思う。

まず、この悲惨な現実は、我々が選んだ未来だったということを認めなければならないと思う。政府や電力会社を糾弾するのは簡単だけれども、その政府を政治家を支持してきたとは有権者なのである。

いま、アンチ原子力という流れによって、技術の進歩を止めないで欲しいと思っている。原子力の研究だってすべきだし、コンピューターの研究だって同様にすべきだと思う。そうやって、人間は少しずつ科学を発展させてきたのだから。

そもそも地球や太陽にだって寿命があって、時間が経てばなくなってしまう。そのとき、人間には、なんとかそれを回避する技術を持っていて欲しいと願っている。もちろん、そんな未来まで人間が行き続けられるかどうか分からないけれども。

それから、原子力に関して追加して言うならば、安全に設計をして安全に運用して欲しいと思う。実験室の中ならうまくいくのだから、しっかり技術を蓄積すれば、発電所の中でもうまくいくはずである。ウランの核分裂反応という科学的な現象だけをみれば実験室で完全に制御できる技術であって、神の領域ではない。それで費用対効果が悪くなるなら、原子力発電という事業を辞めればよいだけの話である。

それからもう一つ、いま我々が再発明しなければならない技術は、民主主義とか政府なのかもしれないとも思う。まあ、まだまだ先は長そうだけど。。。

Sunday, March 27, 2011

反原発を唱える人が取るべき行動

福島の原子力発電所の事故の影響で反原発の意見が増えてきました。そんななか反原発を唱える人が取るべき行動を考えてみました。

まず、反原発を主張するのならば、原子力に変わる発電方法を提案しなくてはなりません。今や電力は社会インフラの中心となっているので、電力なしの生活に戻ることは不可能です。

しかし、政府の方針や電力業界の規制を変えることもそんなに簡単ではありません。東京電力は、株式会社なので株価が下がり続けたら倒産すると思いますが、おそらく政府が手助けをすることになるでしょう。

日本航空でさえあれほど手厚く救済されたのですから、社長以下管理職を全員クビにするような劇的な改革は期待できません。高い給料をもらっている経営陣は、大きな責任を取らされることもなく、高い退職金をもらうでしょう。

もちろん原子力発電所のさらなる建設ができないとしても、東京圏の電力を独占的に供給しているので、倒産した後に政府主導で再建された会社は、また独占の甘い汁をする組織になるに違いないです。

残念ながら日本の大企業という物は、自浄能力がないばかりか、倒産しても保護されるという社会主義的な環境の中に存在していて、特にそれが電力業界において顕著です。その背景にあるのは、電力業界を保護している行政であり、さらにその利益を得ている国会議員です。

阪神大震災の時の体たらくを思い出すと、自民党であっても民主党であっても、有能な政治家が十分いないことは明らかです。また、有能な政治家が十分に指揮権を発揮できる地位にいないことも明らかです。選挙によって国を良くすることはそんなに簡単ではありません。

では、このエネルギー業界を変えるにはどうしたらようのでしょうか。

答えは、消費者が東京電力を使わなければよいのです。原子力が嫌いだというのなら、原子力で汚れた電力を使うのをやめたら良いのです。また、原子力で得られた電力で作られたサービスを使うのをやめたら良いのです。

消費者の立場からみると、家庭にガスなどのコジェネレーションを設置したり、太陽光発電を設置すれば、東京電力の電力を買うのをやめることができます。一般家庭なら200万円くらいから製品が出ているみたいです。車を1台買うのをあきらめたらよい価格です。

また、企業の立場で考えると、例えばデータセンターをもっているのなら、自家発電をして電力をつくって運用すれば良いと思います。現在のような計画停電が続く状況なら、自家発電設備を持つことが十分なメリットになると思います。

また、自家発電設備を持った後に、消費者にそのことをメリットとして伝えればよいと思います。原子力に反対する消費者ならば、例え1円高い商品であっても、クリーンに製造されていればそれを選択するはずです。

個人的に原子力発電所は安全な技術であるという立場を変えるつもりはないですが、電力業界も市場原理と競争にによって選択されていくべきだと思いました。まあ、それができなくないのなら、個人であろうと企業であろうと国であろうと、市場主義のグローバルマーケットで取り残されてしまうでしょう。

Saturday, March 19, 2011

原子力発電の問題点

原子力発電と電力の問題点は、あきらかに行政の歪んだ規制とその結果もたらされている電力会社の独占にあると思います。

原子力発電というものは、個人的には、正しく設計と運用がされていれば安全な技術だと思っています。もちろん、高速増殖炉とか、特にナトリウムを減速材に使う原子炉は技術的に安全なレベルに達するまでに大きな技術的問題がいくつもあるでしょうけど、単純な軽水炉に関して言えば十分に確立された技術だと思います。

しかしながら、耐用年数が過ぎた原子炉を使い続けたり、一カ所に多くの原子炉を設置したり、地震が来る可能性の高い断層の上に建設することは、あきらかに危険なやり方だと思います。そして、そんな状態を許してしまっている行政と、それを一緒になって遂行している電力会社には当然のように責任があると思います。

今回事故を起こした原子力発電所は、耐用年数が迫っている上に、旧式であるため効率が悪いです。にもかかわらず使い続けなければいけないのは、理由もなく原子力に反対する市民と、それに影響を受けすぎた行政による圧力が原因となっていると思います。たら・れば論になりますが、古い原子炉を捨てて新しい安全で効率的な原子炉に建て替えていたら、今回の事故が防げたかもしれません。

それから、このブログのはじめの頃にスマートグリッドの話を書きましたけど、そもそも日本の電力は、他国に比べて安定供給されていると言われています。確かに、国策としての電力の安定供給は、日本の戦後の行政において必要だったのかもしれません。しかし、今となっては、それが参入障壁になって新しい会社が電力を供給することができなくなっています。

その結果、消費者は電力会社を選択することができずに、東京電力をはじめとする電力会社が独占による暴利をむさぼる結果になっています。もし、消費者が電力会社を選ぶことができれば、原子力発電に反対をするのなら、原子力発電をしない会社を選べば良いだけです。たとえ、原子力発電を使わない電力が高かったとしても、消費者に選択されて、それによって利益が生み出せるのなら十分にやっていけるでしょう。

また、電力に関する規制があまりにも厳しいために、たとえば太陽電池による発電と売電が難しいという話も聞いたりします。もし、消費者が投資の一環で太陽光発電をはじめたら、一カ所の事故による電力不足という事態は避けられたかもしれません。もちろん、太陽光で発電した電力は、クリーンなエネルギーなので、付加価値があって高く売れるかもしれません。一見、高いと思われる商品であっても、正しいやり方で生み出した商品ならば付加価値をつける方法はいくらでもあります。

一般的に、独占的な企業は、官僚的な体質になって腐敗していくものです。その名の通り、行政そのものは官僚によって運営されている訳なので、官僚的になるのは当たり前です。そしてそれは、減点方式で人を評価するために、従来のやり方が踏襲され続けて、斬新でよりよいやり方は、握りつぶされるからです。徐々に組織は、変化に対応できない、前例に忠実な人間で満たされていきます。事故の対応や記者会見をみるたびに、電力業界の官僚的で変化に対応できないトップというものをみることができます。

日本という国の国民性は、こんな事故があっても当事者を責めるばかりで、改善策を考えない場合が多いです。電力に関わる行政や電力会社は、根本的な問題がどこにあったのか、どうすれば二度とこんな事故を防げるのかということを本気で考えて欲しいと思っています。社長が引責辞任するとか、誰かが不必要に責任を感じて自殺するとか、そんなことは誰も望んでいません。

安全と安心

北関東大震災、今回ほど安全と安心の違いについて考えさせられることはなかったですね。

特に震災の後の原子力発電所に対する対応は、まさにその違いが際立っていると思います。

原子力発電所は、30km以上離れていたら安全なのかもしれないけど、安心じゃないんですよね。被爆国としての日本の教育もあるだろうし、原子力発電所の度重なる事故もあるだろうし、なにより放射能が目に見えないところが不安感を大きくするのでしょうね。

安全に食料が供給されるとわかっていても、買い占めしてしまうのもやっぱり、不安な気持ちが収まらないからなんでしょうね。どんなに論理的に説明されたとしても、不安な気持ちというのは、感情なので押さえようがないものですよね。

東京にいたって安全だとは思いますけど、安心した気持ちになれないのはものすごく理解できます。そもそも、海外で暮らしている日本人だって、安全な場所に住んでいるにもかかわらず、祖国がなくなってしまうのかというような不安な気持ちになるひともいるみたいです。

お金があるひとは、安心を得るために、影響にならない程度に買い物をしたり、海外に一時的に逃げても良いのではないかと思ったりします。もちろん、混乱を助長するような行動は避けるべきでしょうけど、復興のためにお金が必要なので日本の内需が増えることは結果的に、復興の助けるになると思います。需要が増えれば税金が増えるのでそれを復興に使えば良いでしょうし、誰かの懐に落ちたお金は、募金という形で復興に使われるかもしれません。

ただし、どんなに遠くに避難しても、どんなに物を買い占めたしても不安なものは不安なんです。安全と安心は違う物ですから。では、安心を得るためには何が必要なんでしょうか。

それは、おそらくコミュニティとかコミュニケーションなんじゃないかと思います。まわりに家族や親戚や友達がたくさんいれば、きっと何かがおきたときはみんなで助け合うでしょう。それに、物理的な支援だけでなく不安な気持ちを伝えるだけでも、それに共感してあげるだけでも安心な気持ちになれるでしょう。

今回の震災で、買い占めに走っているひとは、孤独なお年寄りや主婦が多いと聞きました。そもそも、自分自身、一時的に海外に暮らしているためにあまり知り合いがいなくて、はじめの数日は不安な気持ちになってニュースにかじりついていました。

これを機会に日本に失われつつある、昔ながらの共同体やコミュニティが、震災と同時に復興していくことを願うばかりです。

Monday, February 28, 2011

NTTのクラウド、VPSサービスは解約にFAXが必要

NTTのクラウド、VPSサービスであるWebARENAを利用しているのですが、解約にFAXが必要なことがわかって驚いてしまった。

入会からディスクやメモリの容量を変更するまでWebからクレジットカードをつかってでできるというのに、解約だけはWebからできないらしい。どうしてそこに解約ボタンをつけておかなかったのかと問いただしたいな。

いまどきFAXとはね。ちなみにpdfをメールに添付しても良いかと訪ねたところ、低調に断られた。NTTらしいというか日本らしい設計ですね。

Sunday, February 27, 2011

Netflixを試してみました。

話題になっているビデオオンデマンドサービスNetflixを試してみました。

サービスは、オンラインのTsutaya + ビデオオンデマンドの組み合わせで、パソコンや対応機器でも再生できるし、DVDの宅配レンタルも可能なサービスです。

日本だと、OyaOとTsutayaがくっついたようなサービスだと思いますが、特徴としてはiPhoneやiPadのようなモバイル機器にも対応しているところでしょうか。

今回はブラウザで視聴してみたのですが、おそらくsilverlight を使っているみたいで、なかなかのユーザインターフェースでした。ブラウザ版のQuick Timeみたいでした。

日本のオンデマンドサービスと比較するならば、やはりコンテンツの品ぞろえが違うと感じました。いまの日本のオンデマンドサービスは、Tsutayaこのサービスがあればたぶんレンタル屋に足を運ぶことはなくなると思います。

値段は月々約7ドル(DVD宅配サービスをつけると9ドル)とかなり低めの設定になっています。これは、たくさんみればかなり得なような気がしますけど、週末だけとかという会員が多数になると思うので、全体をみると儲けがでるサービスなのかなと思いました。

iTunesのレンタルと比べても、お得な感じがするので加入者が増えるのも理解ができますが、1年後加入し続けているユーザがどれくらいいるのかが気になるところです。ヘビーに視聴するユーザばかりが残ると確実に赤字だと思います。

逆に、Netflixアラートサービスとか作ったらおもしろいかもしれません。3ヶ月連続で視聴回数が少なかったら大会を促すサービスです。なんか訴えられそうですけど。。。

ちなみに、結構日本のアニメもラインナップの入っていて、攻殻機動隊とかカウボーイビバップ?とか鉄腕アトムとかそれなりに充実していました。

それにしてもこういうサービスは、国ごとにコンテンツの管理や著作権の問題があってグローバルに展開できないところがつらいですね。その分、日本の企業にもコピーキャット戦略の余地があるということですかね。

あと、もし仮にNetflixが日本で視聴できるようになると、泣きたくなるISPがでてくるでしょうね。Youtubeにはずいぶん泣かされたのでしょうが、今回は著作権さまさまな国内ISPというところでしょうか。